アフリカガーネット数珠
美しい玉の連なり、しなやかでたおやかな房、そして簡単には切れない中を通る紐の品質、山田念珠堂の念珠作りの基本です。法具としての「機能性」はもちろん、「美しいから」「心が温まるから」「手になじむから」という五感に訴える念珠作り、玉を磨くこと、房を作ること、糸を撚る、軸を編み、という手の掛かる仕事を多くの方に知っていただくことが、念珠作りの原動力になって行きます。
山田念珠堂は貝細工や珊瑚を加工し、髪飾りを生業( 木工・漆塗・彫等)としている家業から始まっています。簪(かんざし)の先に飾りとして付けられる珊瑚玉の加工も主な仕事でした。それらの玉類を戦前は大野屋さんという御店に卸していました。その大野屋さんが数珠を製造していたことから、山田梅吉が大阪の数珠屋大松で修業し、明治38年に数珠の製造卸売りを始めたのです。玉加工は山田義郎の時代まで行っていました。
大阪は職人の町で、かつて阿倍野には珊瑚屋が軒を連ねていました。泉州ではガラス玉や貝ボダンが盛んに作られていました。環状線には玉造という駅がありますが、まさに大阪の玉加工の歴史を反映した名前です。山田念珠堂の父祖も、そのような大阪の玉職人の一役を担う一人でした。
大阪万博までは、玉の穴の中に鋼線を入れ磨き砂(研磨材)を如雨露で鋼線の上から入れ上下に「ガタンガタン」と振動させて、玉の穴を磨く仕事を社内でしておりました。何本もの鋼線が枠にはまり、脚踏みで枠を動かして研磨するのです。
数珠を持たれる方が、数珠を持つことで様々な悲しみや困難を乗り越え、幸せだと感じられる人生を歩まれることを、山田念珠堂は心から祈り、製作に関わる一人ひとりの職人は皆様の幸せを念じながら、数珠を組んでいます。
数珠で使われる玉素材と色は無数にあり、房の色も様々です。そうです、数珠には無量のスタイルが存在しています。その無量にある数珠との出会いは、まさにあなたと「ほとけ」との出会いに他なりません。「ほとけ」は、あなた自身の内なる輝きで、山田念珠堂の数珠が、その内なる輝きを引き出す力を持たんことを私どもは願っています。
祈りを託し、願いを込め、悲しみの中で握りしめ、慶びの中でたぐる、あなたの人生の寄り添う念珠を、山田念珠堂は編み続けます。
山田念珠堂は、この父祖以来の玉造り、そして数珠作りを大切にし、「日本製」のタグを付け、皆様への製品の証としております。また、現在では「共摺り本研磨」による「選りすぐりの珠を持つ念珠」と、選別から外された玉で作られる「ディフュージョン念珠」とを表示サインで区別して販売しております。「ディフュージョン念珠」の製品は、見た目は一級品の念珠と変わりませんが、山田念珠堂は念珠のプロとして価格の違いを含めて、製品の違いをお客様に伝える努力をしております。
社内には糸取りから始まり、撚糸の工程を経て、房(撚り房)を製作する機械も設置しています。職人技を要求される梵天房も社内職人が作る製品の他、専用の製造機械で製造するシステムも開発しております。数珠の命の一つである軸組みも機械化しており、高品質で均質な製品を供給できる体制を整えております。