数珠の歴史

数珠の歴史(52) 法然の数珠 その2 「光る数珠」

 浄土宗の宗祖法然上人の生涯を伝えるのが『法然上人行状絵図』です。この行状図絵は法然上人の滅後約百年ほどを経て作られたものですが、三昧(ざんまい・悟り)を得た法然上人は超人的な姿として描かれています。前回の連載でも記しましたが、人を超えた人として描かれます。

 法然上人の悟りは御年六十六歳の時、口称三昧、つまり「南無阿弥陀佛」という念仏を称える中で発現したと記され、眼から光りを出し、その目は瑠璃の壺のようであると表現されます。四天王寺の数珠屋の娘は、その法然の姿を現前にすることになります。

「法然様のおそばの方ではございませんか」
四天王寺あたりの数珠屋の娘は店に着た出家者の姿に声をかけました。
「先日は法然上人が夢で出会われた善導様がもたれていたという数珠をお作りいただき、感謝いたす」
 善導とは、唐において浄土教の教えを完成させた高僧です。法然上人が夢で出会われた善導の手には数珠が掛けられており、法然はこの善導の数珠を作ってほしいと数珠屋の娘に願ったのです
「お気に召していただき、ありがとうございます。それで今日はどのようなご用事で?」「上人様が、在家の念仏者の方に数珠を贈りたいと申されており、その数珠を作って頂きたいと思い参りました」承知いたしました。いかがいたしましょうか。法然上人の元に、参りましょうか」「そうして頂けると有り難い」
「では玉などを用意して、近々参ります」

 この頃、法然は念仏による三昧(悟り)に至り、様々な奇瑞を自ら現しています。その奇瑞のひとつが目より光りを出すというものです。
 数珠屋の娘が法然の庵に着いたのは昼過ぎでしたが、法然は所用で多忙にしており娘が法然の部屋に通されたんのは日が暮れようとしている時でした。
 法然の部屋の前まで足を運んだ数珠屋の娘は部屋の中を覗くと、驚いて足を止めました。法然は暗がりの中、目から光りを出しながら経論を読んでいたのです。法然は目から光りを出したまま娘に視線を向けると、娘は膝をおり、そこに触れ伏しました。
「娘よ顔を上げなさい。聞いているだろうが、今日、お前を呼んだのは、数珠を一連作ってほしいためだ。光りが宿る数珠が欲しい。熱心な念仏信者に与える数珠だ」娘は頭を下げたまま「承知しました」と応え、そのまま法然の部屋を去りましたが、ちらりと見た法然は暗がりの中、目から光りをだし経論を読んでいました。


 数珠屋の娘は、よく磨かれ曇りの全くない水精の玉で数珠を仕立て、使いの者に数珠を届けさせました。

 それから半年ほど経った頃、法然上人の側に仕えるあの僧が数珠屋の娘の元を訪れました。
「その節は世話になった。お礼を申し上げる。作ってもらった数珠を持つと、暫くの間数珠を繰りながら熱心に念仏を称えた後、念仏者に数珠を与えた」
「それは有り難うございました」
「念仏者はその数珠を手に、日々熱心に数珠を手に念仏しておったそうだが、ある日、柱の竹釘にその数珠を掛けていたところ、その数珠の玉すべてに光りが宿り、輝いていたそうだ。その輝きは夜に輝く星が降っているようだったそうだ」  数珠屋の娘は法然上人の目から射していた光を思い出し、数珠の玉の輝きに仏の世界が宿ることをを知ったのです。

※念珠から光を発するという奇瑞は以下の物語に拠るものです。

ある人、上人の念珠を給はりて、よるひる名号をとなふる。ある時あからさまに竹釘に、かけたりけるに、一室照耀する事ありけり。その光をただしみるに、上人恩賜の念珠よりいでたり。珠ごとに歴々たり。なをなを暗夜に星を見るがごとし。奇異の事なりといへり。 (法然上人絵伝第八)