数珠の歴史

数珠の歴史(51) 法然の数珠 その1 「善導との出会い」

(机の上に青いへびが)
 華厳経を説くために机の前に着座しようとした法然の目にまず入ったのは青いへびです。青いへびが法然を見つめたいたのです。
「法蓮房、この青きへびを取ってはくれまいか」
法然は側にいた弟子の法蓮房に蛇を取るように命じ、法蓮房は箒で蛇を払い、ちりとりに入れ、障子を開けて蛇を外に逃がしましたが、戻るとその蛇がまた机の上に居るではないですか。法蓮房は驚きのあまり、全身から汗を噴き出しました。
 その夜、法然は夢の中に大竜を見ることになります。

「私は華厳経を守護する竜神なり。恐あれることない」と伝えました。
 華厳経は竜宮にあり人の世界に伝わることがありませんでしたが、浄土教初祖の龍樹菩薩が竜宮に出向き、華厳経を披(ひら)き、人の世に伝えました。青いへびは、この時からの華厳経を守護しているのです。

 法然には、たびたびこうした奇瑞を体験しています。その奇瑞の中でも最も大きな奇瑞が夢の中での善導との出会いでした。

 四天王寺あたりの数珠屋の娘が店の中で静かに数珠を作っていると、一人の僧侶が訪ねてきました。
「京都より参りました私は信空、法蓮房信空でございます。師である法然様の命により数珠を作って頂きたく参りました。それはこの数珠でごさいます」。
 信空は巻物の紐をほどき開くと、そこには白絵(下絵)で描かれた二人の僧が向き合っています。
「右におられるのが法然様、左上で紫雲に乗り数珠を手にされるのが善導様です。法然様が先頃夢でご覧になられた善導様との出会いを画工が白絵で描いたものです。善導様がお持ちなる数珠をお作り頂きたいと」

「法然様の名前は存じ上げております。念仏を称えることをお勧めになられている方かと。京都ではたいそう人気がある方かと存じますが、善導様とは?」
「善導様は唐の尊いお方です。西方極楽浄土を観るためのお経の解説をされ、師である法然は、そこに西方極楽浄土に参るための、念仏の行こそが、凡夫を救うことになると発見されたのです」
「それで玉はいかがいたしましょうか。水精で仕立てますか?」
「水精でお願いします。人の手で作られた水精ではなく、天然の水精でお願いしたく存じます」

 法然は浄土宗の宗祖として知られていますが、比叡山で修学をしている時には、経論へのすばぬけた理解、広学多聞で知られた特別の存在でした。天台、真言密教を学び、東大寺で鑑真伝来の具足戒を受け、比叡山では最澄伝来の大乗菩薩戒を受けています。その法然が浄土宗を開いたのは「凡夫報土(ぼんぷほうど)」のためでした。凡夫が阿弥陀如来の世界に生まれることです。浄土への決定的な導きとなったのが、唐の善導の「観経疏(かんぎょうそ・観無量寿経疏)」でした。

 三ヶ月ほどの後、数珠屋の娘は都の法蓮房に使いを出し、数珠が仕上がったことを伝えました。使いは「よろしければ法然様に直接をお渡しを、と法蓮房様は仰せです」とのことで、娘は早速支度を調え数珠を箱に入れ携え京の都に向かいました。
 法然は気さくに人々に会う人柄の方でした。ある時、「酒を飲むのは罪になるのでしょうか」と聞かれ「本当は飲まないほうがいいが、世の習いなので。あまり飲み過ぎないようにな」と教えるような方でした。
 娘は法然の庵に着くと、法蓮房から少し待つように言われ、小部屋で待っておりました。
 しばらくして娘は法然の居る庫裏に呼ばれました。法然は経机を前にして数珠を手にして座っていましたが、娘に気付くと目を上げて、柔らかい眼差しで娘を見ました。
「数珠を持ってまいりました」と娘は布で巻かれた箱を取り出し、数珠を法然に見せようとしたその時、誰かに見つめられている気配を感じ、苔むした庭に目をやりました。
 青い蛇が、娘をじっと見つめていました。
 「驚くことはない、華厳の教えを守護する竜神の化身である。そなたが拵えた数珠を観たくて今日は現れたのだろう」
 娘は箱の蓋を開け、数珠の入った箱を法然に手渡しました。法然は数珠を手に取ると、 両手で数珠を持ち、体の前で円形を作り、さらに手を合わせて数珠を持しました。
「おお、これこそ夢に見た善導様の数珠。一つひとつの玉の光りが溶け合い、仏の教えが融通している。よくぞ作られた。娘よ、ところで水精の玉をひとつ、持ってはいないか」
 娘は金襴の袋に入れた穴が穿かれていない水精の玉を一つ取り出すと「お上人様お使いくださませ」と法然に渡すと、法然は「娘よ見ているがよい」言うなり、青い蛇にその水精の玉を投げました。
 すると、青い蛇は水精の玉に飛びつくなり龍と化し、三本の爪で水精をつかみ天に昇りました。
 法然は微笑みながら「よく覚えておくがよい。あの龍は仏法の守護するものである」と娘に語りました。
 娘は龍が巻き起こした風を感じながら、龍が昇った天を見つめました。
 

※今回のお話は『法然上人絵伝』を元にした物語です。法然と善導との出会いは同絵伝の巻七で記されています。「そのさま腰よりしもは金色にして、こしより上は墨染めなり」と善導の姿が表されています。浄土宗においては現在でも善導の御影(立像)が大切にされています。青の蛇の話は同じく『法然上人絵伝』に出てくるものですが、龍の話はフィクションとなります。