数珠の歴史

数珠の歴史(50)五百羅漢の数珠(7)醍醐の数珠

「お嬢様、お嬢様」
 数珠屋の娘は遠くに自分を呼ぶ供の者の声を聴きました。そして暫くすると
「お嬢様、起きてください。深賢(じんけん)様がお越しになります」
 数珠屋の娘は、深賢様、という言葉ではっきりと目覚めました。
 庫裏の小部屋の柱にもたれかかり寝ていたのです。庭の仏足石には白い蝶々がとまっています。 
 (そう、私はあの仏足石の白い蝶々を見ながら、眠気を催し・・・)
 仏足石から蝶々が飛び立ち、娘の方に飛んできました。
 「私はどれくらい眠っていたのでしょうか」と供の者に聞きました。
 「ほんの暫くの間でございます」

(ああ、私は夢を見ていたんだ。天竺でお釈迦様にお会いしたことも、金剛智様と出会い獅子国(スリランカ)から室利仏逝(ジャワ)に渡り、唐の国に向かい恵果様と空海様のために数珠を作り、准胝観音、如意輪観音のための数珠を作ったことは全て夢だったんだわ。そう、羅漢様は、旅を導いて下さった羅漢様も夢の中のことだったのね)

 夢だったのね、と思いながらも娘は天竺からの旅のことを鮮明に思い出すことができました。
(私は空海様をお守りしながら、唐の地よりここにたどり着いた)

「深賢様がお呼びです」小僧が小部屋にやってきて、娘を招きました。小僧に案内されて奥の部屋にゆくと、老僧が一人座っていました。右手には数珠を持っています。
「娘よ、この醍醐にて千僧供養を近々行う、ついては僧と山伏が持する数珠を作ってほしい」
 鎌倉幕府の命で、千僧供養が行われるのです。源平の戦いで亡くなった武者たちの供養でした。
「千の数珠のうち、五百は山臥(やまぶし)のための苛高(いらたか)の数珠で作るように。残り五百の数珠は僧が持するもので、醍醐の山上の清瀧本地両尊像、すなわち准胝観音像と如意輪観音像が持する数珠を参考にするがよい。小僧が案内するので、付いてゆかれよ。そして、私の数珠も一連作るように。私の数珠は弘法大師様ゆかりの水精と菩提子にてお願いする。この度の供養の特別な数珠となる」
「唐の皇帝が弘法大師様に授けられた、というあの数珠でしょうか」
「そうだが、よく知っておるな」
「いえ、以前そのようなことをお聞きしたことが…(私が恵果和尚様より頼まれてお作りした数珠のこと)」

 深賢は言葉を続けます。「この醍醐の御堂を開かれた聖宝様は弘法大師様に続く時代、役小角(えんのおづぬ)に倣い山岳修行を深めた方。醍醐の地の山伏の伝統は聖宝様より始まり、この度の千僧供養では山伏五百も供養を行う。また、来朝された胡人の僧も供養の列に加わる。心して数珠を作られよ」

 娘は「承知いたしました」と応え、深く礼をした後、醍醐の山上の堂宇に安置されている准胝観音像と如意輪観音像が持する数珠を見るために、小僧の案内で醍醐の山を登りはめました。
 堂宇につくと、小僧が扉をゆっくりと開け、堂内に光が差し込むと、准胝観音像と如意輪観音像の数珠がきらりと光りました。
(あっ、これは唐の国で私が作った数珠だわ。准胝観音様の母玉が三つある。如意輪観音様の数珠も)
「この像は開祖である聖宝様が発願して作られたもので」と小僧は説明しますが、娘は全く聞いていません。(唐の地で善女竜王様からお願いされた私が作った数珠。ご自身は清瀧権現そして准胝観音菩薩、そして如意輪観音菩薩となり、醍醐の地を護る仏となると言われ、数珠を作ることを頼まれた)

 娘はその場に立ち尽くしました。
(夢ではなかった。私はたしかに唐の国に行ったんだわ)
 娘は四天王寺あたりの店にもどり、玉屋や紐屋を呼び集めて材料を納めさせ、店の職人たちと一緒に数珠を作りはじめました。

 深賢上人から頼まれた苛高の数珠とは、玉の両端が尖った数珠のことで、山岳修行者、すなわち山伏が持つ数珠のことです。摺り揉み合わせて大きな音を出し、外界の魔と自身の内にある魔を退散させるのです。数珠屋の娘は先代の時代から持つ、よく乾いた桜の木を選び玉屋に挽かせました。この桜の木を持った玉屋は「お嬢様、この桜の木で作る苛高は、余程鳴りましょう」と嬉しそうに言うほどでした。

 数珠を作り終えると、供の者三人で、醍醐寺に数珠を届けにゆきました。先日の小僧が出てくると、「深賢上人様からの言付けでございます。千僧供養の時には、席を用意するので、参列するようにとのことでございます」
「ご配慮ありがとうございます」

 千僧供養の日、娘は仕立てたばかりの着物をまとい、本堂内陣に近いところに座しました。幕府の武士と並んで、深賢上人の姿も見えます。やがて法要が始まると、続々と僧侶が堂内に入り、読経をしながら右繞を始めました。外では山伏が法螺貝を鳴らし、時折苛高を押し揉んでは数珠を鳴らします。
 その時、娘は内陣を右繞するひとりの僧に目が留まりました。異相の僧侶です。
 (あっ、旅を導いて下さった羅漢様!!)
 深賢が言う「胡人の僧」とは、娘の旅を寄り添った羅漢様だったのです。
 異形の僧は、娘の姿に気がつくと、ゆっくりと数珠を持つ右手を挙げ、娘に合図を送りました。
 娘の旅は夢ではなかったのです。
「お釈迦様も金剛智様も、恵果様も私に数珠を教えて下さった。そして羅漢様、ありがとうございます」
 娘は千僧供養の読経の声を聞きながら、しみじみと旅を思い出しました。

※深賢 じんけん(〜1261) 醍醐寺地蔵院開祖。
※聖宝 しょうぼう(832〜909) 醍醐寺開祖。真言宗小野流の祖。醍醐寺を拠点とする山岳修行・当山派の祖。数珠の歴史(44) 
※醍醐寺は山伏の修験道の聖地としても知られており、醍醐寺は修験道当山派の本寺です。聖宝は大峯山入峰修行の道を開いた方でもあります。明治時代以降は

数珠の歴史(44)五百羅漢の数珠(1)釈尊が教た数珠「木槵子経」
数珠の歴史(45)五百羅漢の数珠(2)金剛智の数珠
数珠の歴史(46)五百羅漢の数珠(3)ジャワでの金剛智
数珠の歴史(47)五百羅漢の数珠(4)唐での金剛智
数珠の歴史(48)五百羅漢の数珠(5)恵果から空海
数珠の歴史(49)五百羅漢の数珠(6)准胝観音菩薩・如意輪観音菩薩の数珠