数珠の歴史

数珠の歴史(46) 五百羅漢の数珠(3)ジャワでの金剛智

 獅子国(現在のスリランカ)の港数珠屋の娘は金剛智と共に船に乗りました。傍らには羅漢(辟支佛・びゃくしぶつ)がいます。港にはペルシャからの商船がたくさん泊まっています。数珠屋娘は獅子国でペルシャの商人から瑠璃(ラピスラズリ)の玉を分けてもらい数珠を編み、金剛智はその数珠を手に持ち船に乗りました。目指すは大唐国です。傍らには貿易船が共に進みます。
 暴風雨に遭い、傷んだ船が着いたのは室利仏逝(シュリーヴィジャヤ)です。現在のインドネシア・スマトラ島のパレンバンとされる地です。西暦718年頃のことでした。

 室利仏逝は仏教を奉じる王国であり、金剛智の船が港に入ると、国王は金色の傘と金色の座具を以て金剛智を迎えました。数珠屋の娘は輿の座具に坐る金剛智の隊列に加わり、王宮へと向かいます。

「あなたは金剛智様のお供の方?」
 王宮に着くと、王族の女性の一人が数珠屋の娘に声を掛けました。
「いいえ私は和国より参った旅の者でございます」
「和国、はじめて聞く土地の名前。ところで、おまえが手首に持つその玉の連なりは何ですか」
「数珠でございます」
 数珠屋の娘は釈尊との出会い、金剛智に数珠を作るように命じられたことなどを姫に語ると「是非、私にも数珠を作っておくれ。」と頼まれました。

二週間後に姫が用意したのは沈香の玉です。

「これは沈香でございますね」
「よく存じていますね。この地で採れたものです。急いで沈香を集め、玉とし、穴を開けた」
 インドネシアは現在でも沈香の産地です。この地で採れた沈香は、貿易船がペルシャ、インド、そして大唐国にも運ばれていました。数珠屋の娘は、京都の姫君達が沈香を愛でることをよく知っていました。
「姫様、承知いたしました。この沈香で数珠をお作りします」
 数珠屋の娘は王宮の中の一室で数珠作りをします。糸を縒り、紐を組み、穴を穿たれた数珠玉に紐を通してゆきます。
「うん、出来たわ」と数珠屋の娘は小さく頷くと、部屋を出て庭を通り姫様の居る館へと向かいました。

 庭の門をくぐり出たところで、あの辟支佛にばったりと合いました。辟支佛(羅漢・びゃくしぶつ)も金剛智と共にインドから室利仏逝へとやって来たのです。
「羅漢様、その手にある香炉は?」
「おおこの香炉か。これから金剛智様のところにお持ちし、沈香を焚くところだ」
「私は王宮の姫様のために数珠をお作りしました」
「そうか、一週間後、金剛智様による密教の法要が王宮の持仏堂で開かれる」
「そうなのですね」

 数珠屋の娘は王宮の一角にある姫様の部屋へと数珠をお持ちしました。
「ああ、この数珠を持つと、仏の教えそのものを身にまとうようです。よくぞ作って下さいました。私は一週間の後、持仏堂で金剛智様が行う法要に、この数珠を持って参加するが、おまえも参加するがよい」

「ありがたき幸せでございます」

 姫様の部屋を出ると、羅漢が待ち構えていました。
「羅漢様?なにかご用事ですか」
「数珠の作り方を私も教えて欲しい。この地の出家者が皆、お前が使った数珠と同じものをほしがっている」
 羅漢の側にはインドからやってきた他の二人の羅漢も居ます。
「もちろん、喜んでお教えします。でも難しいですよ」と娘は応えました。

 金剛智の法要が始まろうとしています。持仏堂には王族をはじめとして、有力者が多く参列しています。金剛智は数珠屋の娘が作ったラピスラズリの数珠を手にしています。法要壇の側には、沈香の数珠を持つ姫様もいます。
 金剛智の目の前にあるのは、鋳銅された智拳印の大日如来が在し、金剛智は五鈷杵を握ると曼荼羅を称え始めました。
 吹き抜けの持仏堂の床は石でできており、その石の冷たさを感じながら娘は自身の数珠を持ち、手を合わせました。南国の風が数珠屋の娘の髪を揺らします。焚かれた沈香の甘い香りが心地よい瞬間でした。

※ この物語はフィクションです。
※『貞元新定釈教目録」巻14では、金剛智が718年頃に海路「室利仏逝」に着いたことが記されています。「經一月至佛逝國。佛逝國王將金傘蓋金床來迎和上。縁阻惡風停留五月。風定之後方得進發。」
※佛逝國はインドネシア・スマトラのパレンバンとされますが、具体的には定かではありません。
※文中にある智拳印の大日如来に関しては、伊藤奈保子氏(広島大学准教授)の『インドネシアの宗教美術 鋳造像・法具の世界』を参考にしています。