山田念珠堂NEWS

弊社・なにわの名工 篁登志子が「宗教工芸新聞」に掲載されました


※月刊宗教工芸新聞・2023年8月号に弊社・なにわの名工 篁登志子の記事が掲載されました。


 

 令和4年の「なにわの名工(大阪府優秀技能者表彰)」として表彰された篁登志子(たかむらとしこ)さんは、とても楽しくて素敵な女性。お年は?と尋ねると「昭和20年です」と笑顔での返事、「住吉区の出身です」とのこと。

 山田念珠堂との出会いは思いがけないものだった。
「四十歳過ぎのことですが、谷九の駅で山田念珠堂の求人のチラシを見て、思い切って応募したところ採用されました」
 面接は先代の山田和義氏。「三十五歳まで、という募集内容だったんですが採用して頂きました」と笑う。当時の山田念珠堂は事業規模が小さい、職人も五人ほど。
「数珠は知っていましたが、もちろん数珠がどのように作られるのかは全く知りませんでした。教えて頂いたのは先々代のご夫妻です」。
 入社して初めて覚えたのは八寸の数珠の通し。「玉の大きさによって八寸三分、八寸五分と様々なのですが、その後に覚えたのが片手数珠の通しと軸組ですね」と当時のことを振り返る。
 数珠の仕立ての難しさのひとつは、玉の穴に合わせた糸の太さを縒ることにある。糸を足しながら必要な太さに縒る。難しかったのが数珠の張りのあるしなやかな仕立て。
「最初はどうしても緩くなってしまうので、家に持ち帰って繰り返し何度も数珠を仕立てることですこしずづ覚えてゆきました」。

  

 数珠職人としての意地はどれだけの数珠を一日で仕上げることができるのか、という語りの中で伝わってくる。
「九時半から五時半までの勤務時間の中で、通し編み、房付けした数珠を百連作ること」という篁さんの言葉は深みと重みがある。
 振分け数珠、そして八宗各派の数珠を手掛けることは当たり前だが、大徳寺房は数珠職人にとって特別な数珠だ。長い軸に続く切り房を仕立てることを語る篁さんからは、プライドが伝わってくる。

     ◎

 後進の指導にも熱心にあたり、男性、女性の職人を育て、幅広く仕事をこなせる職人チームが山田念珠堂には生まれている。

 創作数珠房も見せて頂いた。
「余った紐や玉で作ってみました」とさらりと語る篁さんの創作房は気品のある作品。橙色の糸から透明な玉を通り三手に分かれ、橙と若緑と黄色の錺付の釈迦凡天に繋がり、さらに切り房が下がるという構成。数珠職人としての技はもちろんのこと「美しい念珠」を生み出す山田念珠堂らしい数珠房だ。

 なにわの名工受賞時の記事もご覧ください ※クリック