数珠の歴史

数珠の歴史(38) 『平家納経』に見える数珠(1) 建礼門院の数珠

 

「そなたの数珠に助けられた」
建礼門院は数珠屋の娘に声を掛けました。
「父清盛は、数珠を持つ私のこの姿を思い、厳島神社への法華経納経の中に私を描かせたのかもしれません」

『平家納経』より「法華経勧持品第十二」より模写 数珠を持つ尼僧と姫

 建礼門院は平清盛を父とし、源氏との壇ノ浦の戦いで数珠を持ち入水しようとしたところ、「一族の菩提を弔うのがそなたの役目」と母である平時子に言われ命が助かり、その後出家、今は都の大原の地、寂光院で平家一族の菩提を弔いながら過ごしています。
 建礼門院の俗名は平徳子。平家都落ちの中のわずかな時間、難波四天王寺あたりの数珠屋に立ち寄り、数珠屋の娘に数珠を作らせたのです。
 建礼門院は、あの時の数珠屋の娘に、少し痛んだ数珠の修理を頼むため、人を使わせ大原の地まで呼んだのです。
「この数珠を持って、私は西方極楽浄土に参りたいのです。浄土で我が子と再び会うのが私の願い」と建礼門院は静かに数珠屋の娘に語りました。
 建礼門院が語る描かれた私の姿とは、『平家納経』の『法華経勧持品第十二』の見返しの中に描かれる数珠を持つ尼僧とその傍らのやはり数珠を持つ姫御前のことです。

 建礼門院の子は壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇。まだ幼い天皇は建礼門院の母である平時子に抱かれ「これから極楽に参りましょう」と入水し亡くなっています。建礼門院は我が子、我が母が海に消えてゆく様を思い浮かべては数珠を繰りながら涙を浮かべて菩提を供養しているのです。

『平家納経』が作られたのは、平家最盛期の時。平清盛は平家滅亡のことを知る由もありませんが、今は出家の姿である建礼門院は数えで12歳の頃、製作中の装飾された『法華経』を見ており、その中に盛者必衰の理(ことわり)を予感していました。父である清盛は『平家納経』の「願文」の中で、現世を本有(ほんぬ)とし、やがて亡くなり中有(ちゅうう)となり、生まれ変わりて西方浄土に往生することを自ら予見していました。つまり、世の理は移ろうのです。本有とは生きている時のこと、中有とは亡くなってから生まれ変わるまでの間のことです。

 『平家納経』は平清盛が発願し厳島神社に奉納された装飾経のことです。『法華経』30巻、『阿弥陀経』1巻、『般若心経』1巻、平清盛自身の『願文』1巻からなります。『願文』は仁安元年(1166)、内大臣平朝臣清盛による発願であると記されています。
 経典というと、白地に墨書された経文を思い浮かべるかもしれませんが、装飾経は料紙と呼ばれる経典の紙そのものを染色したり、金や銀の箔や粉で装飾し、その上に経文を記したものです。
 紺地に金泥で経文が描かれた装飾経はよく知られていますが、『平家納経』は格別の美しさを持ち、間違いなく世界で最も美しい『法華経』です。経典の見返しには様々な絵が描かれており、尼僧や姫君が数珠を持つ姿も見ることができます。『法華経勧持品第十二』の見返しで描かれる持仏堂、数珠を持つ尼僧の姿は、決して建礼門院の姿というわけではありませんが、あたかも大原寂光院で過ごした建礼門院のように見えます。

 ところで、仏教の経典が厳島神社に奉じられた、ということは、仏教と神道という隔てられたくくりで見ると奇異な感じがあるかもしれませんが、この時代、仏と神の関係は表裏一体です。

「釈尊の説いた教えが法華経二十八巻であり、教えが人の形となったのが観音菩薩、神となったのが厳島神社である」と平清盛は『平家納経』の「願文」の中で語ります。
 平清盛は『平家納経』に先立つこと15年前、仁平元年(1151)に安芸守、つまり現在の広島県の国守となり、安芸国の収入を以て、高野山の大塔の再建を行います。その時、一人の老僧が現れ、「気比(けひ)と伊都伎島(いつきしま・厳島)は密教における両界曼荼羅の垂迹。しかし伊都伎島は荒廃している。伊都伎島を美しい姿にするのがそなたの仕事」と清盛に伝えます。気比とは若狭国(福井県)の気比神社のことで、気比神社と厳島神社は両界曼荼羅の胎蔵界・金剛界とされる地であり、厳島は伊観音菩薩の聖地でもあったのです。

 数珠屋の娘は建礼門院から数珠を預かり、難波へと戻りました。「建礼門院様のなんと穏やかなお顔」とつぶやきながら、数珠をどのように直すのか思いを巡らすのでした。自分が仕立てた数珠が建礼門院の命を助け、平家の菩提を弔う縁を生み出したことに不思議を感じながら、数珠が「守珠(まもりだま)」であることを改めて知ったのです。

 

※ 建礼門院(1155〜1214)は俗名平時子。父は平清盛、母は平徳子。高倉天皇の妻となり、安徳天皇を生みましたが、安徳天皇は平徳子に抱かれて壇ノ浦の海に入水。平時子は助かり、出家し建礼門院となり京都大原寂光院で平家の菩提を供養する生活を送りました。

この物語は『平家納経』の「法華経勧持品第十二」を元にしたフィクションです。