山田和義の数珠の話
さて これまでの連載にて貴石・宝飾石類のお話は一応ご理解頂けたと存じます。続けて重要な素材のお話をさせて頂きますが、今回は日本でも広く知られ好まれている「琥珀」に付いてのお話を進めてゆきたいと存じます。
まず琥珀の歴史的なものですが、日本に於いては1999年、北海道千歳市の柏台遺跡から琥珀の小玉が出土しました。柏台遺跡は2万年前の石器時代の遺跡で、この時代は北海道とシベリアを隔てる間宮海峡、宗谷海峡が氷で厚く覆われ、大陸から北海道まで徒歩で移動できた時代です。
縄文時代の遺跡からは琥珀に孔を通したものが数多く発掘されています。柏台遺跡と同じ北海道の常呂川遺跡(北見市)からはネックレスに再現できる琥珀の加工玉が発見されています。三内丸山遺跡(青森市)からも琥珀が出土しています。三内丸山遺跡の琥珀は岩手県久慈産の琥珀と推定されており、実は糸魚川から運ばれてきた翡翠も三内丸山遺跡からは出土しています。
東京国立博物館には奈良時代から鎌倉時代に作られたとされる重要文化財指定の「琥珀念珠」が館蔵されています。この琥珀念珠は顕真(1131〜1192)筆『古今目録抄』に記録されているものとされています。『高野続宝簡集』の貞応元年(1222)には「御念誦箱、右沈念誦、但装束者琥珀也 御施 入琥珀半装束」とあります。鎌倉時代後期より腰飾りや装飾品としたり枕などに使われていたことが埋葬品からも分かっています。
世界史的に言えば琥珀は人類最初の宝石であり、魔法の石、幸運をもたらす石として尊重されてきました。
イングランド地方には環状列石で知られるストーンヘンジ遺跡がありますが、この近辺の遺跡からは琥珀のネックレスを首にかけられた人骨が出土しています。この人骨は紀元前2000年(今から4000年前)のものと推定されています。
遡って紀元前3200年頃のエジプトの遺跡からはヨーロッパ北方のバルト海で産出された琥珀の宝飾品が出土しています。
ヨーロッパで言えばエジプト文明の時代にはバルト海沿岸で採れた琥珀が北アフリカまで運ばれていました。紀元前2000年のギリシャのミケーネ遺跡からは黄金の装飾品と共に琥珀のネックレスが出土しています。
琥珀の産地としてはバルト海沿岸地方やドミニカ共和国、中国北部そして日本岩手県久慈にて産出されるものが有名です。
バルト海沿岸地方とはリトアニア、カリーニングラード(ロシア領)、ポーランドのことで、この地域で産出される琥珀はバルチック・アンバーと呼ばれます。
ドミニカ共和国はカリブ海に浮かぶ島国で、青に輝く琥珀「ブルーアンバー」を産出します。
中国北部の琥珀は撫順琥珀として知られます。
岩手県久慈では平安時代から琥珀の加工が行われていたと言われます。冒頭で紹介しました三内丸山遺跡から出土した琥珀は久慈琥珀とされ、石器時代から琥珀産地として存在していたことが分かります。江戸時代には南部藩が産出を管理しており、現在も採掘が継続されています。
琥珀は鉱物ではなく樹脂の化石です。主に松柏科植物の樹脂が化石化しこれが固まり琥珀となったものです。久慈の琥珀について言えば、南洋スギが起源樹種と考えられています。南洋スギは現在主に南半球に自生する樹種なのですが、数千年前には北半球にも自生していたことになります。
松柏即ち針葉樹に限らず広葉樹の樹脂の場合もあります。そのことは漆樹のことを思えば分かりやすく、漆の木からは漆液が採れます。この漆液が数千万年をかけて琥珀になったと思えば、その色をあわせて分かりやすいかもしれません。
琥珀の形成されるお話をさせて頂くと、琥珀の事がさらに判りやすいと存じます。
琥珀は前文でも申し述べました様に、樹脂の塊と思っていただけたら判り易いでしょう。言うなれば、子供の頃に遊んだ「松やに」を思い出してください。松脂は茶色っぽい色ですが、純粋な樹脂は透明で青く薄い黄色〜薄い茶褐色です。例えれば映画「ジュラシック・ ワールド」で出てくる本来の琥珀の色です。この本来の色のみの琥珀の中に、古代生物が存在します。ここが「肝」です。何故この虫入り植物入りが少ないかは次回でお話します。
琥珀は造山帯に存在します。造山帯はその名の通り大規模な地殻変動により山脈が形勢された地域であり、地圧と地熱により産出される植物化石には石炭があります。石炭の主成分は言うまでも無く炭素ですが、植物が地中に埋もれ、植物に含まれる酸素や水素などが減じることで石炭化が始まり、無煙炭になると炭素成分は九割を超えます。
石炭は産出される地質年代で言えば琥珀と重なっており、琥珀の最大産出地であるポーランドは豊富な石炭資源で知られ、中国撫順も露天掘りの石炭産地として知られています。
2022.9.4 UP DATE