数珠の歴史

数珠の歴史(25) 大河ドラマに登場した数珠を持する源頼朝

 2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の鎌倉殿とは源頼朝のこと。実は頼朝が常に数珠を持っていたことが、この時代の史書である『吾妻鏡(あづまかがみ)』には記されています。

場面は石橋山の合戦(1180)です。源頼朝は父源義朝(1123〜1160)が平治の乱で謀反を起こしたとして殺された後に、伊豆半島に流され、読経にあけくれる20年を過ごします。この間に地元の豪族である北条時政(1138〜1215)の娘である政子と結婚します。

1180年に平家追討を命じる以仁王(もちひとおう)の令旨(りょうじ)が全国の源氏に届けられ、頼朝も挙兵の決意をし伊豆半島を制圧しますが、石橋山の合戦(現在の小田原市)で平家方の大庭景親、伊東祐親に敗れ山中に逃れます。

この山中に飯田義家が頼朝が日頃常に携えていた数珠を持ってきます。頼朝は自身の数珠を合戦のさなかに落としてしまっていたのです。飯田義家は合戦の場に落ちていた数珠を一目にみて「この数珠は武衛様(頼朝)のものだ」と分かり、山中に隠れる頼朝に届けにきたのです。頼朝は狩りの時にこの数珠を常に持っていたので、相模の源氏の武士達はこの数珠のことを見知っていました。

家義御跡を尋ね奉り參上す。武衛の御念珠を持參する所也
是、今曉合戰之時、路頭于落令め給ふ日來持ち給ふ之間
狩倉邊に於て相摸國之輩多く以て見奉る之念珠也 
(『吾妻鏡』治承四年八月)

 この頼朝の数珠は現存するものではありませんが、大河ドラマ館(鎌倉市)には大河ドラマで使われた頼朝の数珠が展示されています。

 鎌倉時代の数珠がこのような制式のものであったというわけではありません。この時代の高僧像が持する数珠にはすでに弟子玉・露などが具わる形式になっており、頼朝が持つ数珠も本来であればそのような数珠であったかもしれません。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では俳優の大泉洋さんが源頼朝を演じていますが、石橋山の合戦に敗れた後、山中の岩場で観世音菩薩を前に読経する頼朝こと大泉洋さんはこの数珠を持していました。

 2022年8月6日(土)から9日(火)まで、鶴ヶ岡八幡宮では恒例のぼんぼり祭が開催され、日没と共に約400のぼんぼりに灯が灯りました。このぼんぼりの中に大泉洋さんが描いた御自身の源頼朝像があり、多くの方々がこの前で立ち止まり感嘆の声をあげました。

大河ドラマ館は2023年1月9日まで展示を行っています。

 政子の父であり源頼朝の舅である北条時政は、平家滅亡の後、京都守護の職に就き、都における平家残党の追捕を行いますが、捕らえられた1人が平家直系最後の子孫である六代御前(平高清)です。近く、『平家物語』に見える六代御前と黒木の数珠(黒檀の数珠)の物語も紹介したいと思います。