数珠の歴史

数珠の歴史(24) 『鳥獣戯画』丁巻に見る数珠 庶民にまで広がる数珠

 高山寺(京都)に所蔵される『鳥獣戯画』は甲巻、乙巻、丙巻、丁巻の四巻に分かれており、これまで甲巻と乙巻に見える数珠を解説してきました。

丁巻で描かれるのは人物のみで動物は登場しません。人物の描線は太くダイナミックなものとなります。
数珠が登場するのは修験者と僧侶の験競べ(げんくらべ)の場面です。験競べとは、僧侶や修験者が身に付けた法力を競うものです。数珠を持った僧侶と修験者の間には人のような姿が描かれていますが、もしかすると験力によって現れた護法童子かもしれません

『鳥獣戯画』には実にたくさんの数珠が登場します。僧侶や修験者だけではなく、庶民姿の兎や蛙までもが手に数珠を持ちます。つまり、誰もが持つことのできる法具(仏具)が数珠であった、ということになります。

 実はこの時代、数珠を作る職人は「念珠引(ねんじゅびき)」として史料に登場しています。

鎌倉時代の『古今著聞集』(橘成季・成立1254)には「その使、念珠引が妻なりけり」という記述があります。

また、『石清水文書』の天仁3年(1110)には「念珠引四人 玉作二人」という記録があります。

平安時代中期の『新猿楽記』(藤原明衡・989?〜1066)は当時の様々な職業の庶民を紹介する書物として知られていますが、『新猿楽記』の中では寺院建築や仏具の職人についての記述はあるものの、数珠職人についての記述はありませんでした。しかし直後の時代である平安時代末期から鎌倉時代には文献上での数珠職人が登場することになります。
鎌倉時代に描かれたとされる『鳥獣戯画』で登場する数多くの数珠は、念珠引により作られたものであったかもしれません。


甲巻では法衣姿の猿がカエルの本尊を前にして法会を行う姿が描かれていますが、丁巻では法会姿の人が蛙の本尊を前にして法要を行う姿が描かれています。つまり甲巻をモチーフとして丁巻でも同様の法要図が描かれたことになります。実際に見ると、甲巻の筆と丁巻の筆のタッチが異なることが分かります。
また甲巻では前机の上に花瓶がひとつ蓮花を挿した様子で描かれていますが、丁巻では机の上に前具(火舎香炉・六器・華瓶一対)の様子で描かれている違いあり興味深いものがあります。また、甲巻は須弥壇と前机が格挟間付の様式であるの対して、丁巻では鷺脚の机となっており、描き手が置かれた環境の違いが伝わります。

『鳥獣戯画』は誰がどのような目的で描いたのか、全く不明の絵巻物ですが、この蛙の本尊の前での法要を見ると、描き手が、正式な僧侶ではなく、市井の聖(ひじり)であったとも想像できます。