数珠の歴史

 数珠の歴史(22) 鳥獣戯画に見る数珠 「甲巻」より

 数珠は様々な法具や仏具のうちで、最も早く人々が持つようになった法具です。平安時代の絵巻物の中には、数珠を持つ人の姿が描かれますが、平安時代末から鎌倉時代に描かれたとされる『鳥獣戯画』にも数珠を持つ蛙や兎、猿の姿、そして人物の姿が描かれます。今回は『鳥獣戯画 甲巻』に見える数珠を紹介します。※掲載のイラストは全て模写です。

『鳥獣戯画』は京都の高山寺に伝わる絵巻物ですが(現在は東京国立博物館と京都国立博物館に分蔵)、いつ、誰が、どのような目的で作画したのか全く分からない謎の絵巻物です。

 高山寺は現在では真言宗の寺院ですが、高山寺を仏教的にその名を知らしめているのは鎌倉時代の明恵(1173〜1232)です。明恵は華厳宗の僧であり、戒律復興に努めたことで知られていますが(法然の念仏を激しく非難しています)、若い時に耳をそり落としたり、40年に亘り自分の夢を記した『夢記』でも知られています。

『鳥獣戯画』では猿の僧正が務める法要の様子も描かれますが、そこでの本尊は蛙です。人が人の姿を真似て仏像を作るように、『鳥獣戯画』では蛙が本尊となり、そこを囲む兎、猿、蛙は皆数珠を持ちます。猿の僧正の数珠も、現在の数珠同様の本連数珠を持ちます。 
 描かれた数珠は丸い玉ではなく、木の実を繋いだような印象を受けるものです。

 法要を行う猿の僧侶は、この次の場面で、たくさんのお供えを受けるのですが、その手には数珠を見ることができます。

 さらに次の場面では蛙が数珠を巻いた蓮の花を捧げて、猿の僧侶に向かう姿が描かれます。

聖徳太子の百済より得たまへりける金剛子の数珠の、玉の装束したる、 やがてその国より入れたる筥の、唐めいたるを、透きたる袋に入れて、 五葉の枝に付けて(『源氏物語』若紫)

皇太后宮の御消息に、沈の数珠に黄金の装束して、銀の御筥に入れさせたまひて、梅の造り枝に付けさせたまへ (『栄花物語』ころものたま)

平安時代から鎌倉時代までは、貴重なものを贈る時に、「五葉の松」や「梅の造り枝」などに付けて贈る習慣がありました。『鳥獣戯画』で蛙が蓮の花に付けているのは、このような意味があるに違いありません。