数珠の歴史

数珠の歴史(16)姫君と公達たちの数珠⑧ その方に相応しい数珠を贈る

 紫式部(970?〜1019?)によって著された『源氏物語』の主人公はよく知られた光源氏です。この光源氏が18歳の時に10歳の美少女を見初める章が「若紫」です。この美少女は後に光源氏の正妻である紫の上となります。

「若紫」の書き出しは光源氏が病を得て、北山の験者を訪ねることから始まります。聖(験者)は護法の加持を光源氏に行います。この加持の部分は「さるべきものを作り、すかせたてまつり、加持など参るほどに(しかるべきものを作り、それを飲ませて、加持を行う)」という内容ですが、「さるべきもの」が具体的に何かなのかは分かりません。すかせたてまつりは、一般的には飲ませる、と訳されてきたので、薬や梵字を記した紙と解釈されてきました。しかし、この文章の後に聖が「護身」の法を施しており、光源氏に護身のための独鈷杵を贈っていること、近くに住む大徳(高位の僧侶)が数珠を贈っていること、この大徳が「もののけが光源氏に付いていた」ことを指摘していることなどを思えば、「さるべきもの」はもののけを憑依させるものであったとも思われます。前回、指摘した護法童子を顕現させての加持であったかもしれません。

 大徳は、聖とは別に登場する僧です。聖が住む山の下に小柴垣を巡らせた住まいがあり、そこに住んでいます。ところがその住まいには美しい尼、童女と女房(女官)が一緒に住んでいるのです。持戒の僧が女性と共に住むことは本来御法度です。

僧都は、よも、さやうには、据ゑたまはじを

「大徳が、まさか、女性を囲っているのでは」と疑う言葉が使われますが、実は尼は10歳の美少女の祖母、大徳は祖父なのです(尼と祖父は姉弟の関係とも)。

 小柴垣を巡らせた住まいには閼伽棚(あかだな)が備えられ、仏が安置されており、この時代のお祀りの様子が伝わってきます。

清げなる童などあまた出で来て、閼伽たてまつり、花折りなどするもあらはに見ゆ。

閼伽棚とは仏に供えるための花や水などを置く棚のことです。可愛らしい童女が出てきて花をこの閼伽棚に具える様子を光源氏が芝垣の向こうの見ます。

 ただこの西面にしも、 仏据ゑたてまつりて行ふ、尼なりけり。簾すこし上げて、 花たてまつるめり。

さらにその西面する住居の奥には仏が安置されており、その仏の前には花が供えられています。季節は春で、洛中では桜も終わっていましたが、洛北の地では桜が咲き誇っています。その仏前に手を合わせる四十頃の尼は美しく上品な方です。

光源氏と対面した大徳は夜のお勤めの為に奥に入りますが、光源氏は屏風で隔てられた向こうに「脇息に引かれ鳴る数珠の音」を聞きます。

数珠の脇息に引き鳴らさるる音ほの聞こえ

この数珠の音の主は美しい尼のもの。光源氏は、美少女の後見となりたいことを尼に伝えます。

大徳の夜のお勤めは午後9時を過ぎており、しんとした山の住まいの中で聞こえてくる脇息に掛かる数珠を摺る音。紫式部は、数珠の音を象徴的に使っています。この後、光源氏は尼に「あの少女の後見になりたい」と申し出ますが、やんわりと断られます。

 数珠の話からは遠ざかってしまいましたが、病が癒えた光源氏は洛中に戻るにあたって聖からは独鈷杵、大徳からは金剛子の数珠を贈られます。

聖、 御まもりに、独鈷たてまつる。見たまひて、僧都、 聖徳太子の百済より得たまへりける金剛子の数珠の、玉の装束したる、 やがてその国より入れたる筥の、唐めいたるを、透きたる袋に入れて、 五葉の枝に付けて

(訳文) 聖はお守りとして独鈷を光源氏に差し上げ、僧都は聖徳太子が百済から得た、水晶の弟子玉が付いた数珠を、百済伝来の筥(はこ)に入れ、さらにその筥を唐風の洒落た透かして見える袋に入れ、その袋を五葉の松に付けて・・・

 金剛子の数珠は、百済からもたらされた数珠であったと、紫式部は記します。実は光源氏は聖徳太子に比される存在として、紫式部は描くのです。光源氏こそ、百済伝来の聖徳太子の数珠を持つ方として相応しい、ということになります。つまり、数珠を贈る場合には、その方に相応しい数珠を贈ることが、この時代からあったということになります。筥(筥)に入れて、ラッピング(包装)して、五葉の松に付けて、というのが洒落たプレゼントの方法でした。

 聖徳太子の金剛子念珠に関しては「山田和義 数珠の話(9) 金剛菩提樹」の中でも触れられています。

 鎌倉時代に描かれた「聖徳太子勝鬘経(しょうまんぎょう)講讃図」には、『勝鬘経』を講じる聖徳太子の前に置かれた案(机)の左側に筥に入れた数珠が描かれています。四天王寺(大阪)所蔵の「聖徳太子勝鬘経講讃図」の場合は六葉に象られた筥の中に水晶の数珠が描かれています。この時代、数珠が専用筥に納められていたことが分かります。

「彼の公から、素敵な筥に入った数珠を頂いたの」
「えっ?どんな筥?」
「椿の絵柄に歌の入った筥なの」
「彼の公、本当にセンスがいいわね」
「私も歌を返さないと」
「どんな歌になさるの」
「一緒に数珠をもって清水様にお詣りしたいって」
「観音様に」
「念じゅる 念じゅる」