数珠の歴史
今回は『枕草子』にみる、蓮の実の数珠の話題です。
(第63段)
蓮葉、万(よろ)づの草よりも、すぐれてめでたし。妙法蓮華のたとひにも、花は仏にたてまつり、実は数珠につらぬき念仏して、往生極楽の縁とすればよ。
(訳文)
蓮はあらゆる草木の中で、とても優れて素晴らしいものです。『妙法蓮華経(法華経)』の中には、その花を仏への供養とし、その実は貫き数珠として、極楽への往生の縁ともなります。
蓮の花を仏の花とし、その美しさと功徳を称える一文です。蓮の実を貫き数珠とすることが行われていたことも分かります。
平安時代、宮中の姫君にとって『法華経』は人気のお経でした。誰もが仏になることを約束するお経が『法華経』で、女性が成仏することも約束されるからです。
『法華経』の英訳タイトルは「The Lotus Sutra」です。Lotusは蓮華のことで『法華経』は蓮花を象徴するお経ということになります。蓮華は泥の中から花を咲かせることから、世間(泥)の中にあって汚れず美しい花を咲かせることが仏道に励む菩薩の教えの象徴とされるのです。『法華経』には次のような一節があります。
(菩薩たちは)汚されない。蓮華が水によって汚されないように。
蓮華は清少納言の平安時代、実際に広く知られた花でした。蓮の原産地については諸説ありますが、日本では約2000年前には実際の花を咲かせたことが、その時代の地層からの蓮実の発見と、蓮実からの栽培により証明されています。
冒頭で紹介した文に引き続いて清少納言は次のようにも記しています。
(第64段)
また、花なきころ、緑なる池の水に、紅に咲きたるも、いとをかし。翠翁紅とも詩に作りたるにこそ。
(訳文)
花が途絶える季節、緑の池の水の紅く咲く蓮の花も素晴らしく趣のあるものです。翠翁紅とも詩に歌われているように。
翠翁紅とは本来は『翠扇紅』のこととされ、『和漢朗詠集』に見える唐代の詩人である許渾の詩に登場する蓮の花のこととされます。(『和漢朗詠集』は平安時代に編まれた、和歌・漢詩などを集めたもの・煙開翠扇清風暁 水泛紅衣白露秋)
実は紫式部も蓮の花が大好きで『源氏物語』の中には次のような一節があります。
池はいと涼しげにて、蓮の花の咲きわたれるに、葉はいと青やかにて、露きらきらと玉のやうに見えわたるを (若菜 上)
蓮の実の数珠は、平安時代には誰でも手に入れることもできるものであったとことでしょう。現代では融通念仏宗の正式な数珠には蓮の実が使われます。
姫 「蓮花、涼やかでみとれるわね」
姫 「仏の花ですものね」
姫 「彼の君が蓮の実で数珠を作ってくださるのよ」
姫 「いいな、私は蓮の実と水晶を合わせたものが欲しいわ」
姫 「蓮の数珠で一緒に観音様にお詣りしたいわね」
姫姫「ねんじゅる ねんじゅる(念珠る)」
2021.7.18 UP DATE