山田和義の数珠の話
この連載では菩提樹と菩提珠を分けて記していますが、菩提樹といえば釈尊がその下で成道された聖なる樹として知られています。この聖樹はクワ科イチジク属の樹木で、果実は玉にはなりません。
これまで販売されてきた菩提珠は仏教のシンボルツリー・聖樹としての菩提樹とは関係ないのですが、奈良時代の『大安寺資財帳』天平19年(747)には次のような記載があります。
「合誦數貳拾玖貫(数珠合わせて29貫)
五貫水精 一貫牙 一貫銅 一貫銀 一貫菩提樹五十三丸
二貫新羅 十五貫白檀 二貫琥珀 一貫水精琥珀交佛物」
ご覧のように「一貫菩提樹五十三丸」とあります。数珠(誦數)としての菩提樹の最も古い文献記録だと思いますが、実際にどのような数珠であったのかは不明です。
東京国立博物館には金剛子念珠と呼ばれる数珠が館蔵されています。この数珠は水精30玉、とんぼ玉(ガラス玉)39玉、そして菩提樹44玉から構成されるもので、平安時代(11〜12世紀)のものとされます。実際のこの数珠を見ると菩提樹が金剛子なのだろうと思いますが、表面に凹凸のある玉です。写真をご覧下さい。ここをクリック
実はこの金剛子数珠はもともと法隆寺にあったもので、明治時代に皇室に献納され、第二次世界大戦後、東京国立博物館の所蔵となったものです。法隆寺と言えば聖徳太子ゆかりのお寺ですが、『源氏物語』の「若紫」には次のような場面があります。
「聖徳太子が百済の国からお得になった金剛子(こんごうし)の数珠に宝玉の飾りのついたのを」(與謝野晶子訳)
この金剛子はなぜか「無患子(むくろじ)」と説明されることが多いのですが、東京国立博物館に館蔵される金剛子念珠は、まさしく『源氏物語』で紹介される「金剛子の数珠」ではないでしょうか。紫式部の時代には、すでに聖徳太子の金剛子の数珠として知られていたものが、東博館蔵として現代に伝わっている可能性があり、少しワクワクします。
また、表面に凹凸のある玉のことを「金剛」と称していたことも分かります。
●金剛菩提珠について
さて金剛菩提珠ですが、私の父の時代にはインドネシアより食用リンデンナッツとして輸入されているものでした。現在でも金剛菩提珠はインドネシア産のもので、種子ではなくて果実です。しかし、葉っぱの形が菩提樹とよく似ていて、菩提樹と呼ばれています。
インドやインドネシアでこの金剛菩提珠はルドラクシャ(Rudraksha)であり、ヒンズー教では「シバ神の涙」と呼ばれる聖なる珠です。ルドラクシャはホルトノキ科の植物で学術名をElaeocarpus(エラエオカルプス)といいます。ヒンズー教では聖珠とされることは仏具との関連性が高いと言えます。
このルドラクシャは、世界的に需要があり、その人気は仏教徒だけではありません。日本で念珠として古くから愛用されている事はもちろんですが、このルドラクシャを連ね、ジャパマーラーとしてヨガの瞑想に使用されたり、ヒンズー教徒が身につけたりしています。
しかし、取り扱いには少し注意が必要です。この金剛菩提珠を始め、実には虫が寄りやすい。毎日使用するのであれば、虫も付く暇を与えないのでしょうが、居心地が良いせいか、放ったらかしにしていると気がついた時には糸を切られていたという事があります。洋服と同じようにお気を付けください。
●菩提樹について
菩提樹という時に混乱するのは、聖樹としての菩提樹の他に、中国原産のシナノキ科の菩提樹、同じくシナノキ科の西洋菩提樹があるためです。中国原産の菩提樹は栄西禅師が宋より持ち帰り、日本の寺庭にも植えられるようになったと言われています。
シューベルトの歌曲「冬の旅」の中で歌われる菩提樹は西洋菩提樹でベルリンのウンター・デン・リンデン通りの街路樹として知られています。このリンデンという名称は「菩提樹」のことです。
古代ヨーロッパではこの菩提樹を神の宿る木として見なしいたようです。
山田念珠堂では仏教のシンボルツリーである印度菩提樹から削り出した木玉で仕立てた数珠も製作しておりますので、是非お問合せ下さい。
2021.5.26 UP DATE