数珠の歴史
数珠のことを私達が知り始めるのは奈良時代になってからのことです。前回は奈良時代の琥珀念珠を紹介しましたが、この時代には経典で数珠を持つ功徳を知ることができるようになります。その代表的の経典が「木槵子経(もくけんじきょう)」と「校量珠数功徳経(こうりょうじゅずくどくきょう)」です。
「木槵子経」は数珠の起源としてよく語られる経典です。その内容は古代インド・難国の波瑠璃王のお釈迦様が木槵子(むくろじの実)108個を貫いた数珠を持つことの功徳を説くものです。「木槵子経」は4〜5世紀に成立したとされています。
同様に「校量珠数功徳経」も数珠を持つ功徳を説く経典で、108玉を満数として、54玉、42玉、21玉の数珠を持つことを勧め、水晶を以て最上の素材であるkとを説きます。
天平3年(731)の記載の中にみえる木槵子経
山田念珠堂が所蔵する数珠図は、「木槵子経」「校量珠数功徳経」に基づくものとされ、山田念珠堂社章の由来ともなっております。この数珠図の内容についてはいずれお話いたします。
2020.12.3 UP DATE